鎌倉宮大塔宮
- Category:others
- Comment(0)
- date. 2019/05/28
私の家の近くに鎌倉宮大塔宮という神社があります。
実はこの神社はすぐ裏に鎌倉カントリーというテニスクラブがあり、子供の頃から両親のテニスの試合の応援に行ったり、自分がテニスをするようになってからは自身も何度もプレイしたのでこの場所には結構親しみがあるんです。
昔はテニスコートの裏は湿地になっていて草が茂っていたので、ボールがフェンスをオーバーしたら必ずロストになっていたのですが、数年前に発掘調査されてから今は永福寺跡として公園になっているので、昔とはだいぶ景色が変わりました。
さて、話が逸れましたが、この鎌倉宮、祭神は後醍醐天皇の皇子である護良親王です。
護良親王の事は日本史に詳しい方はもちろんご存知の事と思いますので、この場では説明は省きます。
最近知ったことなんですが、大塔宮は昔から「だいとうのみや」と呼んでいたのですが、大塔宮はつまり護良親王の事で、正しくは「おおとうのみや」と読むらしいです。
ただ、地名としては「だいとうのみや」が正しいようです。
さて、この鎌倉宮は明治維新直後に武家政権から天皇親政に代わるタイミングで明治天皇の命で造営されたもので、近くには護良親王のお墓もあります。
画像のようにかなり急な階段のさらに上にまた急な階段がありその上にお墓があります。
ちなみにこのお墓は宮内庁により管理されているようですが、訪れる人もほとんどいないようで少し寂しい感じです。
ちなみに護良親王の妹の用堂女王のお墓はうちの菩提寺である東慶寺にあります。
最近、こうやって少し歴史を感じる機会も増えてきたりしてます。
実はこの神社はすぐ裏に鎌倉カントリーというテニスクラブがあり、子供の頃から両親のテニスの試合の応援に行ったり、自分がテニスをするようになってからは自身も何度もプレイしたのでこの場所には結構親しみがあるんです。
昔はテニスコートの裏は湿地になっていて草が茂っていたので、ボールがフェンスをオーバーしたら必ずロストになっていたのですが、数年前に発掘調査されてから今は永福寺跡として公園になっているので、昔とはだいぶ景色が変わりました。
さて、話が逸れましたが、この鎌倉宮、祭神は後醍醐天皇の皇子である護良親王です。
護良親王の事は日本史に詳しい方はもちろんご存知の事と思いますので、この場では説明は省きます。
最近知ったことなんですが、大塔宮は昔から「だいとうのみや」と呼んでいたのですが、大塔宮はつまり護良親王の事で、正しくは「おおとうのみや」と読むらしいです。
ただ、地名としては「だいとうのみや」が正しいようです。
さて、この鎌倉宮は明治維新直後に武家政権から天皇親政に代わるタイミングで明治天皇の命で造営されたもので、近くには護良親王のお墓もあります。
画像のようにかなり急な階段のさらに上にまた急な階段がありその上にお墓があります。
ちなみにこのお墓は宮内庁により管理されているようですが、訪れる人もほとんどいないようで少し寂しい感じです。
ちなみに護良親王の妹の用堂女王のお墓はうちの菩提寺である東慶寺にあります。
最近、こうやって少し歴史を感じる機会も増えてきたりしてます。 
とは言っても近場をうろうろする程度ですからそんなに大したのではありません。
家の周りはほとんど坂もないのですが、一応ギア付きです。
色も僕の好きなブルー🔵です🙂
久し振りに自転車に乗るのでフラフラしながら運転してます。
転ばないように気をつけないといけません👍
この画像はアンティコルムさんの1989年のカタログから抜粋した物なのですが、同じ個体が2004年のクリスティーズさんでも出品されていて、恐らくミュージアムの個体はこの時計なのではないかと推測しております。
この1550は市場ではどうやら3個の現存が確認されているようで、そのうち一つはナチスのゲーリング元帥の所有物だったそうなんです。
ネット上で色々調べてみたのですが、残念ながらゲーリング元帥の1550は検索には引っかかりませんでした。
いずれにしてもこのコメットシリーズ、それぞれが数個しか製造(販売)されていないので、なかなか手に入れることは難しそうですが、探していればそのうちに目にする機会もあるかもしれませんので、気長に待つことにします。
砂浜といっても波打ち際なので、固めの砂だから、歩きやすいし、コンクリートみたいな衝撃も無いので、いいかなぁと。
でも波打ち際というのは思ったよりも涼しくて、あんまり汗かかないものなんです。
ですが、全てがフーデッドのラグで特徴的な形状をしています。
そのダイヤルデザインがあたかも星図のようなので、「コメット」と呼ばれてます。
私の知る限りでは1540が2個、1545は1個、1550はミュージアムに1個、1551は2個、1548はこの画像のみしか現存が確認されていません。
1942年ですので第二次世界大戦中です。
時代的にこのデザインはあまり受け入れられなかったのだと思もわれ、極めて少数のみ製造されて姿を消しました。
後にも先にもこのような特徴的なデザインのリファレンスはこの5タイプのみです🙂
大きさがどのくらいかと思って調べたら32mmのようですね。
中央寄りのスモセコがデザインのポイントのひとつになってる気がしますが、機械は10型でしょうか。
1942年以降となるとソビエト侵攻も行き詰まった頃で、ゲーリングはこんな時計してる場合じゃないような気もしますが…
コメントありがとうございます。
ムーブメントは10型です。
ゲーリングもなかなかのセンスだなと感心してました。
ちょっと調べてみたら
ゲーリングは元々かなりの伊達者で
しかも1942年頃にはヒトラーに干されるようになり、軍の指揮からははずれて、美術品蒐集等の趣味の世界に没頭していたとあります。
なるほど、正にピッタリの時計です。こういう話は大好きです。
コメントありがとうございます。
はい、ゲーリングは確かナチスによる美術品強奪に便乗して、プライベートコレクションを増やしていたと理解しています。
良し悪しは別にして、美術品に対する造詣は深かったんでしょうね。