「明治維新という過ち」という題に惹かれて読んでみました。
極論として、「今の日本があるのは、明治維新のおかげだ」的な見方を安易に持っている人は多く、しかしそれは明治維新以降の薩長主導政府による歴史教育が長年にわたって刷り込まれた事によるものだというのが著者の主旨だと思います。
最初のうちは、「この人(著者)は、なんか薩長に私怨があるのかしら」とか「ふむふむそういうことも在ったのだ」等思いながら、なんとなくのんびり読んでいたのですが、最後の数ページだけはさっと読むことができました。
著者は、全体を通して明治維新を美化してきた司馬遼太郎氏にも今の日本人が間違った歴史認識を持つようになった責任があると話していたのに対し、最後になって司馬氏が街道をゆくの中で述べていた言葉「われわれが持続してきた文化というのは弥生時代に出発して室町で開花し、江戸期で固定し、明治後、崩壊を続け、昭和四十年前後にほぼほろびた」を引用して司馬氏は「智の巨人」であると解説していました。
私は司馬氏の小説はそれこそ何冊も読んで、まさにわくわくした口なのですが、「街道をゆく」は読んだことはありませんでしたので、司馬氏がそのように語っていたことは知りませんでした。
私は今の日本が(悪い意味で)こうなったのは、自分がまさに渦中で経験してきた「戦後教育とバブル」のせいだとずっと思っていたのですが、「実はその前から崩壊が始まっていたのかもしれない」と少し衝撃を受けました。
つまり著者は最終的には、今の日本がこうなったのは基本的には明治維新がターニングポイントであった、つまり明治維新こそが日本にとっての「過ち」であったと言いたかったのだなと解釈しました。
もしまだこの本を読んでいなくて歴史に興味をお持ちの方がいらしたら、ちょっと読んでみてください。
著者の言われる薩長主導による歴史観と逆の意味で少々偏った歴史観がベースの本ではありますが、少しは今の日本を理解するためのヒントにはなるかなと思います。
羅生門スタイルじゃないですが、歴史って語る者の立場や環境、考え方、人間関係、宗教等で全く異なるものになりますよね。
太平洋戦争は言わずもがな。日本人の大好きな忠臣蔵だって吉良上野介の地元愛知県西尾市では名君として慕われていますし、中東に関してはもはや理解しようとする気力さえ失せるほど複雑で混沌としています。
それでも自分とは違う考えにもよく耳を傾けて、複眼的思考を持ちながら、歴史を学ぶことが大事だと思います。
なかなか難しいことですが…
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り立場によって見方がだいぶ変わりますね。
異なった考えを頭ごなしに否定するのでは無く、受け入れる事で自分の視野を広げることにも役立ちますね
こんばんは。
お久しぶりです。
面白そうなのでコメント入れさせていただきました。
大平正芳先生が、「本来歴史というものは、最終的な解決なるものはないのであって、暫定的解決を無限に続けていくのが歴史だと思う。毎日汗をかいている姿が歴史である。」という言葉を残されています。
このお言葉をベースとすれば、あの時代の後にどれだけ政治的観点からもイノベーションの汗が流されたかを検証すべきと思います。それをせずして150年前の一点にフォーカスしても無意味の様な気もします。
おはようございます。
コメントありがとうございます。
仰るとおり、歴史は常に流れている物で、その前後に何故そうなったのか原因があるわけですよね。
この本の著者は恐らく事実以上に明治維新その物がとても美化されている事にあらゆる意味で違和感と疑問(不満)を持っていて、それを自分なりに正したいという感情が強いのだと思います。
そのため逆に江戸時代(徳川幕府)を美化した所は否めないような気がします。
是非、読んでみてくださいませ。
早速、取り寄せて読んでみます。